教室in the声優のラジオ
あのなんとも言えない感じが好きで、当時はけっこうハマっていた。
初めて声優のラジオを聞きたのが、中学3年の頃。ブスの女子が声優のラジオを聴いているという会話を盗み聞きしたからだ。
「声優のラジオなんてなにが面白いんだ」
と思っていたが、5教科の合計が200点以下のカスみたいな僕でも一応受験勉強という強制イベントがあって、そのお供に聞き始めたのがきっかけだ。
ちなみに、アニメは全然見てなかった。見ないけど、声優のラジオが好き。声優のラジオには、そういった人を引きつけるダイソンみたいな吸引力がある。
僕がよく聴いていた時間が日曜深夜の文化放送、というかそれ以外知らなかった。30分枠のラジオが連続でやってたような気がする。「声優ラジオのゴールデンタイム、もしくは、日曜深夜のニヤニヤタイム」として、毎週末の楽しみになっていた。
しかし、この声優のラジオが終わると同時にスジャータのコマーシャルが入り、文化放送は放送休止になる。「ピーーーザザザーピーザーピーザーコーラオイシイー」みたいなやつである。
さっきまでワイワイキャピキャピと可愛い声の女性達が楽しそうに話していたのに、放送休止のお知らせが流れるとかなり切なくなったのを覚えている。さらに、日曜日なので翌日からはまた1週間学校が始まる。世間はサザエさんシンドロームだかなんだか知らないが、僕は声優のラジオシンドロームだった。「ああ、楽しかった日曜日が終わった・・・」と、かなりがっかりして眠りに落ちた。
そうなると当然月曜日は全くやる気がなく、普段から無いのにもっとなくなって地面にめり込んでいる状態だ。しかし、仮にも僕は受験生。この状態はどうにかしないとヤバいと5教科の合計が200点以下の僕でも思った。
少ない脳みそで必死に考えた。学校から帰宅しおやつを食べ、プレステで遊び、晩ごはん、お風呂とルーティーンをこなしつつそのスキマ時間で考えそして閃いた。
「カセットに録音すればいいじゃん」
カセットテープに録音して、好きなときに聴けばいいのだ。こんな単純なことに気づかなかったのは、カセットテープはレンタルCDを録音するものという固定概念みたいなものがあり、ラジオを録音するという考えが僕にはなかったからだ。
ちなみに僕が中学3年生だった20年前、時代はカセットからMDになっていたが僕の生活圏内は完全にカセット全盛期。確かにMDはあったが、録音する機器もウォークマンも高すぎて金銭的に無理だった。
なので、もっぱら使っていたのが近所で買った3000円の古いaiwaのカセットウォークマンだった。この3000円だって僕にとってはギリギリだ。
うわぁー! まさにこんな感じ! ソニー高いからaiwaには何度も助けられた。
もちろん新しいカセットを買うお金なんて無かったので、ドラゴンボールの主題歌が入ったカセットを犠牲にすることにした。ドラゴンボールもテンションが上がるが、当時の僕にとっては声優のラジオの方が上だったのだ。CHA-LA HEAD-CHA-LAを歌っていた影山ヒロノブさんも納得してくれるだろう。
日曜日の深夜、さっそく声優のラジオをカセットに録音した。60分のカセットだったので、ふたつの番組を録音することに成功した。その日もスジャータが文化放送の休止を告げたが、こちとらカセットに声優のラジオを録音してある、もう無敵だった。日曜日が終わるというのにまったく悲しくない。なぜなら手元のカセットには声優のラジオが録音されているから。
翌日の月曜日からは、帰宅すると毎日のように声優のラジオを聴いていた。飯と風呂とトイレ以外の時間はオートリバース機能によって永遠に声優のラジオが流れていた。たったふたつの番組であったが、全然飽きない。日曜日の深夜にひっそりと聴いていたものが、平日の夕方に聴けるというだけで最高だったからだ。
そんな声優のラジオ生活も4日目になったころ、少しだけ欲が出た。
「学校で声優のラジオを聴いてみたい」
もちろん学校にウォークマンなんて持っていっては駄目だ。見つかればすぐに没収されるだろう。しかし、いつも聴いていた声優のラジオでは番組内で学園モノのラジオドラマをやっていたのだ。学校をテーマにした声優のラジオドラマを学校で聴くなんてことは夢のまた夢であったが、音源は今オレの手の中。中学3年の思い出に学校で聴いてやろうと決めた。
そんなわけで、さっそくシュミレーションを行った。作戦としては、バッグに忍ばせたウォークマンのイヤホンを外側に向けて音量を最小にする、そこに耳を当ててバッグ越しでラジオを聴くというものだった。
この007もびっくりするような完璧な作戦は、声優のラジオに投稿されたリスナーの情報から知ったものだ。この同志は、以前からこの作戦で大好きな声優のラジオを学校で聴いていたようだった。
「なんて素晴らしい作戦を教えてくれたんだ」
こんなに感謝したのは、ポケモン青をバグ技でぶっ壊したのに許してくれたO君以来だった。
翌日、さっそく実行してみた。1時間目が終わった休み時間に、おもむろにバッグを机の上に置く。「ねみー」とか言いながら、寝るフリをしてバッグのイヤホンがある部分に耳を当てる。中にあるウォークマンの再生ボタンを手探りで押す。
なんとも言えない感情が鼓膜から脳へ、脳から全身へと駆け巡る。鳥肌なのか身震いなのか、自分の体がいまどんな状態なのかわからない。
しかし、興奮しているということだけはわかった。
声優のラジオを今、学校の教室で聴いている。あのキャピキャピワイワイを今、いつもの教室で聴いているのだ。ニヤニヤが止まらない、このままだと完全に怪しいやつだが下を向いてしまうと聴こえなくなる。僕はニヤニヤしたまま声優のラジオを聴いていた。
その日は休み時間になるたびに「ねみー」と言ってはバッグに耳をあててラジオを聴いていた。まるで寝てない自慢をしている痛いやつだったが、学校で声優のラジオを聴いているやつもなかなかだと思った。
休み時間にちょびちょび聴いていたので、ラジオドラマのときはすでに放課後だった。声優たちの学園モノを聴きつつ教室を眺めていると、いつもと違った風景に見えてくる。
声優が可愛い声で可愛いセリフを言った瞬間、ブスの女子が目に入った。その瞬間、体にビビッと衝撃が走った。頭のてっぺんからつま先までドグシャァッと何かに貫かれた気がした。
「もしかしてこれが恋ってやつか?」
恋愛にうとい自分でも、それくらいの衝撃があったのを覚えている。普段ブスだなと思っていた女子が、今はブサカワに見える。これが恋のパワーなのか。すごいぞ恋。すごいぞ声優のラジオ。
その日に限って、突如ブサカワになった女子と僕だけが教室に残っている。完全に運命だこれ。こうなるようになってたんだ。声優のラジオもこの日のために聴いていたんだ。
全てはこの瞬間のために、物事が進んでいたとさえ思った。僕はブサカワ女子に声をかけようと立ち上がった。耳から声優のラジオが離れ消えていくと同時にブサカワ女子にかかった魔法もパッと消えた。
立ち尽くす僕、怪訝な顔でこちらを見つめるブス。
あらためて声優のラジオはすごいなと思った。
その後、ブスとの関係はまったくなにも無い。むしろ反動で嫌いになったくらいだ。一度だけ掃除の時間に「ちゃんと掃除してよ」と言われてムカついた。
それから、声優のラジオは中学卒業とともに聴かなくなった。しかし、今でも日曜深夜になると文化放送にチューニングを合わせ、あの頃を思い出したくなる。セットでブスも思い出すから聴かないけど。
ちなみに、15年後の同窓会でブスに再会し、それがきっかけで結婚したなんていう展開は無い。
あー、夏だなぁ
夏といえば、夏休みの記憶しかない。外に出るのも躊躇する灼熱の大地に、半そで半ズボンスニーカーというシンプルイズベストな服装で立ち向かう。
今週のお題「暑すぎる」
自転車のカゴにはスーパーファミコンのカセット。ポケットには300円。バッグなんか持たないのが一昔前の小学生の正装である。
そんな夏の日の、、、思い、、、セミの声が、、、聞、、、る、、、
ミーンミンミンミー
ミーンミンミンミンミー
ミーンミンミンミー
ミーンミンミンミンミー
ミーンミンミンミンミンミー
ミーンミンミンミン
ミーンミンミンミンミー
ミンミンミンミー
ミーンミンミンミンミー
ミーンミンミンミンミン
ミンミンミンミンミン
ミーンミンミンミンミンミー
ミーンミンミンミンミンミー
ミーンミンミンミー
ミーンミンミン ミーンミンミン
ミーンミンミンミンミンミ───・・・・
幽霊が起こす怪奇現象、21世紀の青いロボットが関係しているかもしれない
幽霊が起こす数々の怪奇現象はとうてい理解しがたい。
しかし、人間が死んで幽霊になったからといって、突然特殊な能力が身につくというのも考えにくい。これはもしかしたら現代以外の人間、つまり未来からの干渉なのではないかと考えた。
そこで僕はとある仮説にたどり着いた。
「幽霊の怪奇現象、ドラえもんが裏で糸を引いてる説」
......
仮説だからね。これ、仮説だから。仮説って何でもありだから。とりあえず落ち着いてもらうために、幽霊について説明します。
幽霊とは一般的に恨みを持って亡くなった人間が、あの世に行けずに現世をさまよっている状態を表す。全知全能の神様なら恨みを持っていようが持っていまいが問答無用で強制成仏とかできそうなものだが、なんやかんやあって成仏できないらしい。それだけならまだしも、生きてる人間に何故か悪さをするらしい。恨みがあるならまだしも、通りすがりにもなんかしてくるので幽霊はほぼ通り魔だ。
その通り魔は様々な能力を駆使して人間を恐怖のどん底に突き落とす。
・音もなく出現
・姿を自由自在に消したりできる
・空間を無視して移動
・人間の動きを止める
・脳に直接話しかける
・手を触れずに物を動かしたり、音を鳴らす
ざっとこんな感じだ。そして僕はこう思った。
「幽霊めっちゃズルいじゃん」
人間ができないことを、フルに使って嫌がらせをしてくる。それが幽霊。生まれたばかりの赤ちゃんにマリカー勝負を挑むようなものだ。しかもこれだけじゃ飽き足らず、怖さも上乗せしてくる始末。
こんなに卑怯な奴は、見つけしだい聖水をぶっかけて強制的にあの世に送ってやろうかなとか考えていたときに、ハッと思いついた。
「幽霊と同じこと、全部ドラえもんの道具でできるじゃん」
未来の猫型ロボットであるドラえもんは、グズでマヌケなのび太くんを助けるためにやってきたお助けロボットのはず。そんなドラえもんが、まさか罪もない人間を怖がらせるなんて。
「そんなわけない、そんなわけないよな出来杉?」
僕はこの嫌な予感を払拭するべく、ドラえもんの道具についてインターネットという現代の便利道具で調べてみた。。。
音もなく出現・・・タンマウォッチ
タンマウォッチとは使用者以外の時間を止めてしまうというすぐれもの。たとえば遅刻しそうになっているときは、このタンマウォッチのスイッチ・オン。時間が止まっている間に会社に移動し、席についたらスイッチ・オフ。遅刻の心配はノープロブレムだ。
そして、これは幽霊のように音もなく相手に近づくことが可能だ。タンマウォッチを作動させている間に、洗面所で顔を洗っているターゲットの背後に移動する。タンマウォッチを解除して、ターゲットが顔を上げるのを待っているだけだ。
ひとしきり驚かせたところで、ターゲットがこちらを振り向くタイミングを見計らいタンマウォッチを使ってその場から移動すればOK。これで怪談によくある、鏡に写っているけど振り向いたら何もいない幽霊のできあがりだ。
姿を自由自在に消したりできる・・・透明マント
透明マントはその名の通り、使用者を透明にしてしまうというもの。銭湯の女湯に入るのが夢だという人にこの道具を渡せば、一瞬のうちに夢が叶うだろう。おめでとう。この道具を使うことによって、幽霊にありがちなスーッと出てきてスーッといなくなることが可能になる。「うふふふ」と笑いながら消えることによって、怖さもより一層深まることだろう。
空間を無視して移動・・・通り抜けフープ
ドラえもんを知っている良い子のみんなならもちろん知っているよね?
一人暮らし系の怪談によくある、ドアをガンガン叩いている音が静かになったと思ったらいつの間にか部屋の中にいたという幽霊イリュージョンが可能になる。
動きを止める・・・相手ストッパー
相手の動きを意のままに止めることができる道具。
エレベーターから降りるとき、たまに降りる人よりも先に無理やり乗り込んでこようとする野生児がいる。そんなワイルドマンの動きを止めることができるし、罰として問答無用で全裸にすることも可能。金縛りに使います。
テレパシー・・・テレパしい
そのまんま相手にテレパシーを送ることができる道具。
遠くの方からターゲットをすごい形相でにらみつつ、「呪ってやる」とテレパシーを送りつづけることで、めでたくノイローゼになること必須。成仏するときにも「ありがとう」とか言えば、より幽霊ぽさを表現可能。
ラップ現象・・・エスパーぼうし
エスパーのように念力・瞬間移動・透視ができるようになる道具。
手を触れずに遠くのものを動かしたり、音を鳴らしたりしてラップ現象を披露できる。主に海外で活躍する幽霊が使っているスペックで、日本から飛び出して世界に羽ばたきたいというアグレッシブな幽霊向き。
なんてこった!幽霊ができる怪奇現象はドラえもんも全部できる
嫌な予感が的中してしまった。幽霊が行っているとされる怪奇現象のすべてがドラえもんの道具で完璧に再現できてしまう。セワシか、セワシの差し金か? それともドラミ・・・?
以上の検証の結果、人間は死んだら一旦未来に飛ばされドラえもんに道具を拝借し、現代に戻ってきてから嫌がらせを始めるということが分かった。
幽霊、それはテクノロジーの進んだ未来人からの警告なのかもしれない。
そうなのかもしれない。
そうじゃないの
かもしれない。
満員電車とブサイクと女子
満員電車とかで隣りがたまたま女子だとテンション上がる。
顔をまじまじと見るわけでは無いが、なんとなくの雰囲気で可愛いのでは? と思ってまたテンションが上がる。
しかも驚くことに、可愛い感じの女子はみんないい匂いがするのだ。みんなそれぞれ違う匂いなのに、みんないい匂いがする。
これはもう、地球の七不思議として数えてもいいのでは?
そんな素敵なことを考えているとひとつの疑問が浮かんだ。
「反対に女子はどう思っているのだろう」
隣にいい匂いの男子が来たら嬉しいのか?
いや、きっと嬉しいに決まってる。昔、ホットドックプレスというヤングな雑誌に書いてあったような気がするし。
そうなったらやる事は一つだ。
「いい匂いをまとえばモテるかもしんない」
僕はさっそく高めのシャンプーとボディソープを買おうと思った。思ったが思いとどまった。
「こんなブサイクがいい匂いしてもムカつかれるのでは?」
と不安になった。
ブサイクが臭いならそのままムカつくだろう。しかし、ブサイクがいい匂いしても逆にムカつかれるかもしれない。
「ブサイクのくせにいい匂いさせてんじゃねーよ」
このように思われているに違いない。ブサイクなのにいい匂いというギャップのせいで普段の5倍くらいムカつかれる可能性だってある。
5倍もムカつかれるならこのままでいいじゃないか。
ありのままの俺でいいんだ! 臭いブサイクでいいんだ!
僕は完全な心理を得た。ブサイクならブサイクらしく自信を持っていればいいんだ。臭くたっていい、虚構に溺れてしまうなら自分の存在を否定してるのと一緒だ。よくわからないがたぶんそういうことだ。
翌日、電車に乗っていると近くに女子がきた。
「どうだい、ブサイクで臭いありのままの僕はどうだい?」
僕はそう思って女子の顔を見た。すると彼女は凄まじいシワを眉間に寄せていた。
「これでいいんだ」
今晩も寝苦しい熱帯夜になりそうだ───。
バタフライ・タトゥーの女
海外旅行には魔物が住んでいる。
数年前、大学の卒業旅行から帰ってきた友人がそう言った。彼はハワイに行き、帰宅して荷物を整理していると驚愕した。全く興味がないハワイアン音楽のCDを1万円分も買っていたのだ。
「ハワイで聴いたら最高だったんだよ」
どうやら海外旅行には人間を狂わすナニかが潜んでいるようだ。
───ここから本文───
先日、地元にオープンした書店に行った。雑貨やメガネも売っており、コーヒーショップも併設された地方都市によくある大型書店である。何を探すわけでもなく店内をフラフラしていると、一人のマダムが目に止まった。
黒髪のロングヘアーにきわどいノースリーブシャツ、ボディラインが浮き出たロングスカートを装備したマダム。マスクをしているので顔はわからないが、上品さとフェロモンが混ざりあって具現化したような人だった。
「田舎にもこんな人いるんだな」
近くにいたおじさんがそう言いたげな顔をしている。
僕はそのマダムを遠目から観察することにした。理由はわからない、もしかするとマダムのフェロモンにあてられたのかもしれない。
本を開き、読んでいるフリをしながら横目でマダムに注視。マダムが移動すれば、視界に映る程度にこちらも移動する。そんなことを5分くらいしていると、あることに気づいた。
「マダムの背中に蝶がいるッ!」
田舎だから外から入ってきた蝶々がとまっていたとかではなく、肩出しシャツからほのかに覗くマダムの背中に蝶のタトゥーが入っていたのだ。
「田舎にもこんな人いるんだな」近くにいたおじさんがそう言いたげな顔をしている。世紀末都市TOKYOならタトゥーなんぞ当たり前だが、田舎では違う。日常に溶け込む違和感、それは不協和音にも近かったような気がした。僕の背中を冷たいものがツーッと流れた。。。
「不協和音を僕は恐れたりしない」
そうつぶやいたかどうかは記憶にないが、僕はマダムがなぜバタフライを背負っているのか考えた。
フェロモンのお化けみたいな見た目だ、もしかしたらその昔は水商売でブイブイいわせていたのかもしれない。完全に偏見だが、水商売の女性は背中にバタフライを背負いがちだからだ。
しかし、こんな田舎にバタフライを背負い込むような水商売の店があるだろうか。たぶん、無い。僕の住むところは「自然と子育ての街」みたいなキャッチフレーズでやっている。そんな田舎には、バタフライを背負っている水商売のお店は無いだろう。だとするならもしや・・・・
「海外旅行には魔物が住んでいる」
嫌な予感がした。数年前の友人の言葉が鮮明に蘇る。近年では海外旅行の開放感から、勢いでタトゥーを入れてしまうという人も増えているらしい。もしかすると、このバタフライタトゥーのマダムも海外の開放感にやられてしまったのかもしれない。
もしマダムがタイのプーケットにバカンスに行ったのだとしたら、バタフライを背負っているのも無理はない。海外でタトゥーを入れるならプーケットが手頃だからだ。東京から約7時間前後で行けるし、お金も格安航空を利用すれば3万円以下もザラにある。
タイではサクヤンという伝統のタトゥーがあり、災厄から身を守るお守り的な感じで愛されている。つまり、タトゥーがかなり身近にある。なのでタトゥーショップも珍しくなく、日本よりも3分の1の値段でタトゥーを入れることが可能だ。さらにタトゥーエキスポというお祭りもあったりするくらいなので、日本よりも遥かにタトゥーへのハードルは低い。
そして、プーケットというリゾートにいるとなれば、気分は開放的というよりむき出し状態である。ストレスだらけの日本から抜け出し、南国のビーチでわけのわからない蛍光色のドリンクを飲んだら脳みそも10%くらいしか働かないだろう。
街に出れば、タトゥーが入ったおしゃれなタイ人が闊歩している。ふと角を曲がってみると一軒のタトゥーショップ、1万円程度で手頃なサイズのタトゥーが入れられるらしい。おや、1時間半もあればサクッと完成してしまうそうだ。
「こりゃ旅の思い出に、バタフライでも入れてみっか!」
こうしてマダムは、晴れてバタフライタトゥーの女になったのだ。みたいな感じで”開放感”という名の海外旅行の魔物は牙を向いてくるのかもしれない。
そんな妄想をしていると、マダムが一冊の本を手に取りレジに向かった。長いこと選んでいたが、ついに欲しい本が見つかったようだ。僕はすかさずマダムが立っていた本棚に移動した。そこはノンフィクションコーナーだった。
「私はバタフライタトゥーの女、現実以外に興味は無いの」とでも言っているのだろうか。マダムからは、上っ面だけの偽物は脱ぎ捨てて自分に正直に生きよう。という決意が見えたような気がした。
僕は店内で流れるハワイアン音楽がちょっとだけ好きになった。