ふんわり感をまとって人気者になろうとしたらダメ人間が露呈して寝ることにした

 

ふんわり感をまとった人は、万人に好かれ誰も傷つけることなく人気者に成り上がる。無敵と言っても過言ではないだろう。

だから私もふんわり感をまとって人気者になりたい。切実になりたい。男だけど。

人気者になって、その人気を両手にブンブン振り回して世の中を生きていきたい。仕事が向こうからひっきりなしに舞い込んでくるタイプの人気者になりたい。

最終的には、適当に撮った写真に適当にコメントつけたら、お金がジャンジャン稼げるような人気者になれば人生も上がりと言っていいだろう。

しかし私は、そんな人気者になるには圧倒的にふんわり感が足りていない。まずは自分にどんなふんわり感が合うのかを考えたほうが良いだろう。

外見をふんわりさせてみる。

見た目がふんわりしていると、最も人気が出やすいと思う。そのふんわりの中に鋭い考えや意見を持っていたりすると、世間のみんなはメロメロ(死語)だろう。

おっとりふんわりしていると見せかけて、共感性が高かったり、日本の制度に関してはっきりとした意見があると「こいつ、ふんわりした見た目だけど、自分ってものを持ってやがる!」と、日本の政治などに関心のある層からの信頼も得られる。

頭の硬い層に対して、まずは見た目で下げておき、中身で評価を上げることによって、カウンター的に高評価を得ることができる。

さらに政治や制度のことなんて全く関心のない層にも、その見た目によって「難しいことはよくわかんないけど、ふんわり感が好き」という評価を得られる。

見た目がふんわりで中身がしっかり系は、攻守ともにバランスの取れたふんわり感と言ってもいいだろう。

中身をふんわりさせてみる。

ツンデレにも近い中身ふんわり感。

見た目はある程度しっかりしておき、中身をふんわりまったりさせることで、驚異的な爆発力を生むことができる。

たとえば、バリバリ仕事のできる女上司が、私生活だと小さい虫が苦手だったり、コンビニ袋を猫と間違えておっかけてしまうおっちょこ系だったり。

男で言えば、捨て犬をほっとけないヤンキーみたいなもの。このようなギャップが、中身ふんわり感の強みでもある。

見た目ふんわり感でもギャップを感じることができるが、あちらは「ふんわりからのしっかり」なので、「案外やるな」という見直される感覚である。

しかし、中身ふんわり感は「しっかりからのふんわり」なので勢いがつく。全力で押しても動かない扉が突然開いたら、勢い余ってぶっ飛んでしまうのと同じで、苦手だと思っていた人が、実は自分好みドンピシャの性格だったときの破壊力たるや。。。

この中身ふんわりは美人系の女優さんだとわかりやすい。バラエティ番組に出たときのギャップにやられる人も多いハズだ。

見た目ふんわり感か、中身ふんわり感か。どちらにしようか悩むところだが、ここで問題がある。

私はそもそもしっかりしていない。しっかりのかけらもない。むしろダメ人間に近い。

つまり、これではギャップが生まれない。

ふんわり見た目からの中身ダメ人間を想像してみよう。ただのぼーっとしている奴だ。ただただ周りをイラつかせるだけの存在になってしまう。

見た目ダメ人間からの中身ふんわりはどうだろうか。ただのバカだ。最低限の見た目さえも考えることのできないスペシャルダメ人間だ。なにがふんわりだ、いいかげんにしろ。

私のふんわり感をまとって人気者になる計画が頓挫してしまった。

ふと考えてみると、私は人生でなにかを成し遂げたことがないし、長いこと何かを続けていたものもない。行き当たりばったりのふわっとした人生を送っているではないか。

そう、知らず知らずのうちにふんわり感に満ちた人生を謳歌していたのだ。

ふんわり感をまといたいと思っていたが、すでにふんわりしていたのだ。

そうとわかればふんわり感を無理してまとう必要も無くなった、あとは人気者になるのを待つばかりだ。人生がふんわりしている人間がブームになるのを寝て待つとしよう。気休めに綿菓子でも食べながら。