ヤマザキパンの美味いやつ!スペシャルサンドの「スペシャル」ってなに? 調べたら熱い時代背景が見えてきた

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ヤマザキパンの超ロングセラーである「スペシャルサンド」、発売からなんと約42年も経っている。

ネット上の情報を見ていると、おそらく1968年頃に発売されたのではと言われている。ヤマザキパン公式サイトによると、関東はもちろんのこと関西よりも西の地区でも発売されている(九州地方は除く)

日本国民に古くから愛されているといっても過言ではないスペシャルサンドだが、ここでひとつ疑問が浮かんでくる。

スペシャルサンドの名前の由来ってなんだろう?」

メロンパンならメロンの形をしている、アンパンならアンコが入っている。ジャムパンだってカレーパンだって、なぜその商品名なのかは一目瞭然だ。

しかし、このスペシャルサンドの見た目からはスペシャル感はあまり感じられない。正直レトロパンの方がしっくりくる。

見た感じただのクリームサンドなのだ。それなのにスペシャルサンド。一体なにがどうなってスペシャルサンドになったのか。

発売当初の時代背景

1968年は世界レベルで大衆の異議申し立て運動が活発化した年だった。(Wikipediaより)

スペシャルサンドが最初に発売されたとされる1968年は、学生運動が盛んな時代。日本で有名なものだと東大闘争、日大闘争など。全共闘とかなんとなく聞いたことある人も多いはず。(この辺を細かく説明するとものすごい大変なので知りたい方はwikiとかで調べて)

すごいシンプルに解説すると、当時の学生は学校や教師に従うだけの存在だったが「それちょっとおかしいんじゃないの?」と、日本だけじゃなく世界的にも大きな声を上げるようになった。

日本以外でも、パリでは五月革命という学生運動がおきたり、アメリカではベトナム反戦運動とヒッピーの思想がリンクして、ヒッピー文化が急速に普及した。

ヒッピー文化とは、自分を解放して自由と他人を尊重するというような生き方。性の解放・フリーセックス・大麻などのドラッグ解禁・男女平等・差別の廃止など。

ヒッピーたちは、それまでの社会の規範から自分自身を解放し、自分で自分の道を選び、人生の新しい意味を見つけることを自発的かつ主体的に追求した。(Wikipediaより)

ロック熱が世界的に広まったのもこれくらいの時期なので、この時代の若者は世界的に熱かった。

同時期の「食」事情

ボンカレー発売
・牛丼吉野家スタート
・子供の好きなおかずが、卵焼きからハンバーグへ
・カール・キャラメルコーンが発売

今でも人気の商品はこの時代からあったというのはなんだか感慨深い。カールは残念だが、吉野家は今でもよく行く。ボンカレーも気づいたら家にある。キャラメルコーンは子供が100パー喜ぶ。

このような強敵揃いのロングセラー戦国時代に、おそらくスペシャルサンドも発売されたのかもしれない。

気になる名前の由来

スペシャルサンドをよく観て欲しいのだが、あんずジャムがある真ん中部分が何かに似ているような気がしないだろうか。

白いクリームの上に赤いあんずジャム(昔は真っ赤なチェリー)が乗っている、

日の丸である。

1968年は学生運動、反体制の時代といってもよい。これまでの社会と戦って、この国を変えようと立ち上がった人たちがいた。この先の日本をより良い特別な国にしたい、スペシャルな未来を作りたい。

このパンは、そんなスペシャルな思想をつつんで両側から(サンドして)支えたい。日本の未来をスペシャルサンドして応援したい。

という想いから、命名され発売されたパンなのだ。

ヤマザキパンのその想いが伝わったかどうかは定かではない、しかし、発売から42年のロングセラー。

それはもう、商品の想いが日本人に届いている証拠なのではないのだろうか。。。。

みたいなことを、この前友人に熱弁したら引かれました。

スペシャルサンドの由来をシンプルに考えてみた

ぶっちゃけスペシャルサンドの名前の由来はすごくシンプルで、「スペシャル」とつけることによって商品名にインパクトを出したかったのだろうと思う。

当時は今みたいにスイーツみたいに派手なパンも無かっただろう。コッペパンホイップクリームとあんずジャムをサンドして、真ん中に真っ赤なチェリーをのせることでショートケーキのような見た目のインパクトを出しつつ、名前にもインパクトを出したのではないだろうか。

発売から42年も経っているのに、食べれば気分はスペシャルだ。