バタフライ・タトゥーの女

海外旅行には魔物が住んでいる。

数年前、大学の卒業旅行から帰ってきた友人がそう言った。彼はハワイに行き、帰宅して荷物を整理していると驚愕した。全く興味がないハワイアン音楽のCDを1万円分も買っていたのだ。

「ハワイで聴いたら最高だったんだよ」

彼は何度も説明してきたが、僕は当然ながら彼自身もなんでこんなに買ってしまったのかという顔をしていた。

どうやら海外旅行には人間を狂わすナニかが潜んでいるようだ。

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先日、地元にオープンした書店に行った。雑貨やメガネも売っており、コーヒーショップも併設された地方都市によくある大型書店である。何を探すわけでもなく店内をフラフラしていると、一人のマダムが目に止まった。

黒髪のロングヘアーにきわどいノースリーブシャツ、ボディラインが浮き出たロングスカートを装備したマダム。マスクをしているので顔はわからないが、上品さとフェロモンが混ざりあって具現化したような人だった。

「田舎にもこんな人いるんだな」

近くにいたおじさんがそう言いたげな顔をしている。

僕はそのマダムを遠目から観察することにした。理由はわからない、もしかするとマダムのフェロモンにあてられたのかもしれない。

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本を開き、読んでいるフリをしながら横目でマダムに注視。マダムが移動すれば、視界に映る程度にこちらも移動する。そんなことを5分くらいしていると、あることに気づいた。

「マダムの背中に蝶がいるッ!」

田舎だから外から入ってきた蝶々がとまっていたとかではなく、肩出しシャツからほのかに覗くマダムの背中に蝶のタトゥーが入っていたのだ。

「田舎にもこんな人いるんだな」近くにいたおじさんがそう言いたげな顔をしている。世紀末都市TOKYOならタトゥーなんぞ当たり前だが、田舎では違う。日常に溶け込む違和感、それは不協和音にも近かったような気がした。僕の背中を冷たいものがツーッと流れた。。。

「不協和音を僕は恐れたりしない」

そうつぶやいたかどうかは記憶にないが、僕はマダムがなぜバタフライを背負っているのか考えた。

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フェロモンのお化けみたいな見た目だ、もしかしたらその昔は水商売でブイブイいわせていたのかもしれない。完全に偏見だが、水商売の女性は背中にバタフライを背負いがちだからだ。

しかし、こんな田舎にバタフライを背負い込むような水商売の店があるだろうか。たぶん、無い。僕の住むところは「自然と子育ての街」みたいなキャッチフレーズでやっている。そんな田舎には、バタフライを背負っている水商売のお店は無いだろう。だとするならもしや・・・・

「海外旅行には魔物が住んでいる」

嫌な予感がした。数年前の友人の言葉が鮮明に蘇る。近年では海外旅行の開放感から、勢いでタトゥーを入れてしまうという人も増えているらしい。もしかすると、このバタフライタトゥーのマダムも海外の開放感にやられてしまったのかもしれない。

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もしマダムがタイのプーケットにバカンスに行ったのだとしたら、バタフライを背負っているのも無理はない。海外でタトゥーを入れるならプーケットが手頃だからだ。東京から約7時間前後で行けるし、お金も格安航空を利用すれば3万円以下もザラにある。

タイではサクヤンという伝統のタトゥーがあり、災厄から身を守るお守り的な感じで愛されている。つまり、タトゥーがかなり身近にある。なのでタトゥーショップも珍しくなく、日本よりも3分の1の値段でタトゥーを入れることが可能だ。さらにタトゥーエキスポというお祭りもあったりするくらいなので、日本よりも遥かにタトゥーへのハードルは低い。

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そして、プーケットというリゾートにいるとなれば、気分は開放的というよりむき出し状態である。ストレスだらけの日本から抜け出し、南国のビーチでわけのわからない蛍光色のドリンクを飲んだら脳みそも10%くらいしか働かないだろう。

街に出れば、タトゥーが入ったおしゃれなタイ人が闊歩している。ふと角を曲がってみると一軒のタトゥーショップ、1万円程度で手頃なサイズのタトゥーが入れられるらしい。おや、1時間半もあればサクッと完成してしまうそうだ。

「こりゃ旅の思い出に、バタフライでも入れてみっか!」

こうしてマダムは、晴れてバタフライタトゥーの女になったのだ。みたいな感じで”開放感”という名の海外旅行の魔物は牙を向いてくるのかもしれない。

そんな妄想をしていると、マダムが一冊の本を手に取りレジに向かった。長いこと選んでいたが、ついに欲しい本が見つかったようだ。僕はすかさずマダムが立っていた本棚に移動した。そこはノンフィクションコーナーだった。

「私はバタフライタトゥーの女、現実以外に興味は無いの」とでも言っているのだろうか。マダムからは、上っ面だけの偽物は脱ぎ捨てて自分に正直に生きよう。という決意が見えたような気がした。

僕は店内で流れるハワイアン音楽がちょっとだけ好きになった。